新年の挨拶
一ヶ月の最初の日を「ついたち」と呼んで、漢字では「朔日」と書きます。
一ヶ月の最後の日を「みそか」と呼んで、漢字では「晦日」と書きます。
睦月から半年経った、水無月の晦日は特別に夏越の大祓(なごしのおおはらい)と呼んで、
今まで半年の恵みに感謝し、これからの半年を無事に過ごせますようにと、お祓いをします。
一年の締めくくり、師走の晦日は、最後の最後という意味を込めて大晦日と呼んで、
その年の厄を払い、新しい年を迎える準備をします。
年が明けると、必ず口にする言葉、「あけましておめでとう」は
ちょっと不思議な挨拶です。何が「めでたい」のでしょうか。
無事に新しい年を迎えることができたこと、これは確かに素晴らしいことです。
でも、私たちは「めでたい」とは感じません。「あ、今の自分はめでたいな」とは思わないはずです。
だから、「めでたい」は自分に向けられた言葉ではありません。
それでは、人に向けられた言葉なのでしょうか。これは難しいところです。
そのまま人へと向けてしまうと、あまりよい印象を与えません。「君はめでたいやつだな。」
なるほど、少し腹が立ちますよね。
ではここで少し変えて、私たちはいつ「おめでとう」と言うか考えてます。
この言葉は、誰かが「嬉しさ」を感じているときに、相手の気持ちを推し量って発せられるものです。
昔の日本人は自分の年齢を数え年で言いました。
お母さんのお腹の中にいた時が0歳。生まれた時が1歳。
今、私たちが言う年よりも1歳、多く数えました。
そして数え年においては、みんなが一斉に1つ年をとる日が元旦でした。
今までとは違った新しい未来を祝福する日に、自分以外のみんなに向けてのお祝いの気持ちが「おめでとう」にあります。
睦月の朔日。
普通の1日が意味を持って、みんなが同じ想いを持つことで初めて、自分にとっても周りの人にとっても、めでたい1日になります。
では、この文章の最後に、
世界中の、1つ年をとった人たちに。今までと違った新しい未来に幸多からんことを祈って。
「あけましておめでとうございます」